創業のきっかけ
1.全体像
自身の年少年期の経験が強く影響をしている。
野球肘となり、体を動かせないもどかしさ、あるいは痛さを抱えながらやり場のない閉塞感の中を生きていた。
施術家となり、少しずつ自身の職域が増えていき、今まで見えていなかった世の中が抱える社会問題(例えば超高齢化社会)の中を10年にわたり業務を行った。
私にしか出来ない仕事を自由度を持ち、多くの方に届けていくために起業したいと考えた。
2.なぜ鍼灸マッサージ師になったのか?~強烈なコンプレックス~

小さい頃から、野球が大好きでプレーをしていた。成長期が他の子よりも早い子どもで、12歳時には165cm・50kg代に体重を乗せ、4番で投手として活躍していた。しかし、その活躍とは裏腹に身体が固く、側転や逆上がりも出来ない体育劣等生であった。
そんな中、野球ひじとなり投げられない恐怖やこれからどうなるのだろうという不安で押しつぶされながら、ふと自身の正面写真に目を配った際に感じた、「なんで、僕の右肩はこんなにも下がっているのだろう?」という問いが、私を施術家にした大きな出来事の1つだった。
3.介護相談やかゆい所に手が届くサービスが必要!
介護に関わる仕事を10年近く行った。
認知症の方にマッサージをしようとして、ペンギンのぬいぐるみを投げられたり、「清家さん、おしっこが出そうだ!」と言われ、片手は背中をマッサージして、そう一方の手で尿瓶を持ち、それをトイレに流したことは、今でも良い思い出である。
22歳の時に、目の不自由な方々と一緒に仕事をさせてもらった事で、マッサージ師とは?という事を考えさせられ、介護に携わる中で、介護を行っている人たち(それは、家族だったり、ケアマネであったり、地域の人達であったり、あるいは職員)をいかにして潰させないか(メンタルヘルスを守るか?)という事が何よりも大切なんじゃないかという事に気づいた。
いくら介護を仕事としていても、その方が自身の親の介護をするとなると、すんなりとはいかないようである。そんな方の介護の悩みを聞いたり、介護や健康保険ではカバーしきれないサービスのニーズをいかにして叶えるためも大きな出来事の1つであった。
4.キャリアを考える時間を提供する
小さい頃に、「将来の夢は何?」と良く聞かれて、「プロ野球選手」とお決まりのように答えていた。
しかし、年代が上がっていくほどに、自身の実力がまざまざと見えてしまい、その夢を口にすることは無くなった。
新社会人になり、先輩に「何かしたいことはないの?」と聞かれ、「○○がしたいんですよね」と言うと、「そんな夢みたいな事を言うな」と言われた。夢をみせておいて、夢を見るなと言われるこの、なんだかへんてこな世の中を変えていきたい!と心から思っている。
大多数の職場で起こっているであろう愚痴合戦を、一つでも沈下させるべく、キャリアとは何か?職場における心理的安全は何かを探検しようという思考の大転換も大きな出来事の1つであった。
そのためにも、食える仕事とは何か?起業家とは?も同時に考え、実践していきたいと考えている。

5.子どもたちの夢 後押し!

放送大学に在籍し、心理学を専攻している。
他方として、2021年12月より、国家資格であるキャリアコンサルタント養成講習に通い、2022年7月に実施される国家試験に向けて勉強中である。
6.今後の目標
丸亀版の寺子屋を創出したいと考えている。
その為に、最低でも2-3年は色々な場所に出向いてみたいと思っている。
<職域エリア>
鍼灸マッサージ・運動指導・運動遊び・運動教室・四国遍路・ココロニアクションプログラム・キャリアコンサルティング(仮)・芸術・行政との連携・地域コミニティ…。
7.大切にしている言葉
四国遍路で中国人鍼灸師から頂いた言葉(2012年4月 室戸岬近くの民宿にて):
「人を包み込むほどの大きな善でありながら、人の心と身体を解放に導きながらも決して圧倒的ではない。人間が持っている様々な次元でのコミュニケーションを素直にする力かな?それを感じるためのお遍路でしょう?感じて進もう!」
この言葉に叱咤激励を受けながら、進んでいく日々です。
